遠慮と我慢の仕方にみる日米文化の違い 

文化比較

どうも駆け出しブロガー、らーきいです!

日米の文化の違いはいろいろなところで散見されますし、「根本的に違うよな」と思う事もよくあります。
ものの考え方の違いから常識が変わり、それが生活様式となって現れるわけですけど、そういった点をよくよく考えてみるのは面白いものです。

今回は日米の遠慮と我慢について、体験を交えて思ったことを書いてみます。

基本的に日本でよく教えられる考え方として「人に迷惑をかけないこと」を一つの美徳として教わる人が多いと思います。人に迷惑をかけないために嫌な事でも我慢したり、好意を遠慮したりするわけですね。その点に関してはアメリカだとあまり人に迷惑をかけることについては日本ほど深くは考えない人が多いと思います。つまり相手がどう思っていても自分の望む方に行動する、嫌だったら他人の迷惑になろうがやらない、という考え方ですね。
もちろん相手との距離感にもよりますが、アメリカでは遠慮せずどんどん頼れるものには頼るし、相手も「できる事なら協力するからどんどん頼ってくれ」というスタンスが一般的な気がします。

日本的に考えれば自立を重んじ、自分でなんでもできるように求められるのに対し、アメリカはもっと相互扶助型であるということでしょうか。いい点悪い点あると思いますが、アメリカ型だと個々人同士のシナジー効果によりよく効率的に日々を運営できる感じはします。

日本人の我慢の感覚については一つエピソードがあります。これは僕が結婚する際に、挙式をアメリカで行ったため、日本に住む僕の母と妹がアメリカの嫁の実家へ来た時の話です。
マサチューセッツにある嫁の実家は比較的広く、部屋も多いため僕の母と妹は結婚式の関連でアメリカ滞在中、ホテルは取らず嫁の実家に泊まる手筈でした。そのために彼女たちが訪米する前には数か月にわたり、彼女たちが止まる予定の部屋と備えつけのシャワートイレを義父であるボブが改装していました(彼はプロの大工であり消防士でした)。

そんなわけで、彼女たちが宿泊しに来るときには部屋とユニットバスはすっかり綺麗になっていましたが、彼女たちが宿泊中、問題がみつかりました。ユニットバスを使用した母いわく「シャワーの水圧が弱すぎて困っている」ということだったのです。

嫁の実家は居住者は多いものの、家にはメインのバスルームやサブのトイレもあり、もちろん僕の家族がシャワーのためにメインのバスルームを使ってもらうこともできます。なのでボブたちはすぐにそのようにしてもらうように母たちに伝えました。アメリカ人にとって自宅とは人に自慢するべき所有物であり、そこに宿泊してもらうことは一つの誇りのようなものです。ですので宿泊してもらった人にはいい気分になってもらわなければならない、という考え方があります。

嫁の実家は丘の上に建っていてマサチューセッツ湾が眺られるいい場所にあるのですが、私の母が窓から「木の枝がなければ湾がよく見えるのにね」と言ったの聞いて、わざわざその木の枝をカットしていたボブの気遣いは凄いものだと思いました。

そんなわけでボブとナンシー(義母)は私の母と妹達にユニットバスの水圧が弱ければ是非メインルームのシャワーを使ってほしいと提案しましたが、母の回答として「大丈夫です、ユニットバスで十分ですから」とのこと。そもそも水圧が弱くて困っていることも直接伝えず、困った妹達が僕に相談してきた、という経緯でした。
母は他人に迷惑をかけることを極端に嫌がっており、それで妹が状況を伝えにきたということでした。そもそもホテルに泊まらず嫁の実家にお世話になること自体相当に恐縮していたのです。

メインバスルームを使ってもらう申し出はしましたが、結局母の回答としては「大丈夫、他の人に迷惑かけては申し訳ないから」ということを日本語で僕に伝えてくるに終始しました。まあ、母としてはそれでよかったのかもしれませんが、可愛そうなのは妹達でした。もちろん個別に伝えたものの母を気遣って水圧の弱いユニットバスを結局使っていました。

僕にとってはとても印象的な事案でしたが、母の行動については「どうしてこんなに迷惑をかけることを嫌がるのか」を考えるきっかけとなったと思います。

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