どうして突然不機嫌になってしまうのか? そんな自分を少しでもよくしたい

人間関係

奇妙といえば奇妙な体験をしました。一方で「別にどうとでもない、よくあるよ!」という人もあるかもしれません。

先日は僕の誕生日で妻が祝ってくれました。彼女は僕のためにニューヨークでもハイエンドな部類になるコリアン(Oiji mi)とジャズバー(The ivy room)を予約し、一緒に食事を楽しみ翌日はライオンキングを観に行きました。こちらも彼女がいい席をサプライズで確保してくれました。以前僕が「ライオンキング、有名だけど見たことないなあ。面白そう」とつぶやいたのを覚えていてくれたのです。躍動感あふれる劇はいままでみたミュージカルの中で一番素晴らしかったです。

この一連のサプライズにはずいぶんとお金もかけてくれました、金額はもちろん言わなかったけど。ものすごく嬉しかったです。

そんな中で、僕は初日にバーでは飲み過ぎてよくわからない理由で不機嫌になり彼女をがっかりさせてしまいました。それはとても後悔しています。この時に不機嫌になった理由もよくわからない。彼女の話の説明が言葉足らずでよくわからず、それを指摘したら、反論になったのでそのままケンカに近い状況になり雰囲気が悪くなってしまいました。つまりこちらが折れることができなかったのです。

それまでに雰囲気がとてもよかったのにささいなことで喧嘩になるのは残念なことでした、それに酒が手伝ってしまった部分もあると思います。なぜこんなことになってしまうのか、どういう心理なのか、自分でもよくはわからないのですが、つまり考えが柔軟性を失っている状態で話やコミュニケーションがうまく行かない事でこじれてしまい、途中からは意地のせいで意見をかえられず、ケンカになった、という事だと思いました。最初に話がこじれた理由は実にどうでもいいことであり、ケンカに理由としてはバカバカしいものです。問題は変な意地を張ってしまったことに他ならなりません。

こういったことは他の人にも起こりうることだと思うので自分なりに考えた対策を書いておこうと思いました。

対策として一つの考え方としてこうした場合、感謝の心をきちんと伝える気持ちを持たねばならないということかと思います。少なくとももてなしてもらっているのは当たり前の事ではないし、それに対して感謝の念を感じていればささいなことで怒り出すことはないです。つまり変な意地やプライドというものは感謝の念を持つことでかなり消し去ることができるといえそうです。

古来の日本の考え方に「布施」「愛護」というものがあります。どちらも仏教の言葉ですが布施は感謝の気持ちを起点にお金や物品などを差し上げる事、何もなければサービス(手伝いや時間を使ってあげること)、や笑顔でもよいです。愛護は相手に優しい言葉をかけてあげること、たとえ事実に即したものでなくとも、相手が気持ちを楽にしてもらえるようにそのような言葉をかけてあげる行為を指します。感謝の念を持ちこうした布施や愛護の行動を常に心がけるのであれば人間関係は家族の関係だけでなく、他者とも円滑にできることが多いと思います。

上記とは別にもう一点、お酒が入っていることも理由でしょう。適度な酒はコミュニケーション円滑にしますが、深酒になれば考えを硬直させたり、心持が尊大になったりします。これはいいことではありません。酒はどんな場でも適切な量に収める事です。

もしこうした点を抑え、きちんと心から実践されていれば上記のような状況にはなるまいと思います。これだけ尽くしたくれた相手に対してつまらない事で怒り出すとは失礼ではないか、と自分で思います。そう思うのであれば何があっても水に流し、笑顔で感謝を伝えるべきなのです。そうすれば最初から関係もこじれずうまく行くはずなのです。

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