バーニングマン旅行記 2025年8月 – vol.8:26日 火曜日 砂漠の朝日とザ マン

旅行記

普段どこかへ旅行すると日常から切り離された、という感覚が誰にでもあるだろうと思います。それでもなかなか日常から完全には切り離されないものです。メールやメッセージ、ラインで外部からとの通信はあるし、仕事のことも多少なり考えるかもしれないですよね。しかしバーニングマンは普通の旅行からさらに輪をかけて日々の日常とバーニングマンという空間を切り離します。

それは基本的に電波がなく、外部との通信ができないという状況と、あまりに日常からかけ離れたスタイルの生活、その外部環境をその基本とすることが、そこのいる自分自身を、普段の生活を送る自分自身から乖離させてしまうのだと思います。

もうひとつ、これは嫁さんが気づいたことですが、多くの人は普段洗面所では毎朝鏡をみて身だしなみを整えるものですが、バーニングマンには誰かが持ち込まない限りそういった鏡はどこにもなく、自分の姿を見る機会が普段に比べて断然減ります。普段自分の容姿を気にしている、コンプレックスを持っている人(特に女性には多いようですが)にはこのことは大きな救いになる、というのです。

確かにスマホの機能でも使わない限りバーニングマンでは自分自身の姿を見ることはないです。キャンプの外にでてもガラスや鏡張りの壁の類はどこにもないですから、どこにも自分の姿が映りません。少し不思議ですが、近代になる前の生活においては自分の姿なんてほどんと確認せずに人を会うのが当たり前だったってことですよね。なんか悩みが減りそうな気がしました。

話がそれましたが、センタープラヤへの足を進めた僕らは道のない砂漠の先の遠くにそびえるザ マンに向かって歩き始めました。

日曜日の夜に見えたマンは紫とピンクの電飾に飾られて見えましたが、今センタープラヤにみえるマンはまさに樹木の色をした非常に大きく見える人形でした。

歩く途中にも何を形容しているのかよくわからない、やかんのようなアート、マンモスの剥製のようなアート、砂漠に等間隔で並ぶ街灯(これもアート)など、そしてやはり何を模しているのかわからないミュータントビークルが走り回る。スターウォーズの戦闘機のようなものからバスのようなもの、海賊船をもしたもの、巨大なトンボを屋根に乗せているフォルクスワーゲン、はてはナウシカのオウムなど、もうなんでもあり、アイディアの宝庫のようでした。

次のページへ:

コメント

タイトルとURLをコピーしました